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産経特選京都は京都の逸品がお取り寄せできる京都の通販ショップです。京都の旬の逸品、名産品をお楽しみください。
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三方を山に囲まれた京都には、その山ふところに包まれて多くの山里が点在している。
雅を誇った都の周辺にあって、時として貴人の幽閉の地となり、また政権を退いた為政者が都の喧騒を離れ暮らした地として、京都の歴史の輪郭を色濃く留めている。
「京の山里を行く」は、そんな歴史の原風景を訪ねると共に、里々に伝わる特産物をあわせて
紹介するシリーズである。
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第1回 「大原の里」
『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり、沙羅双樹(しゃらしょうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)を顕(あらわ)す。おごれる人も久しからず、 只春(ただはる)の夜の夢のごとし。』の書き出しで始まる平家物語は、平家一門の栄枯盛衰を描き、人の世の移ろいとはかなさを綴った古典名作として、今も多くの人に愛されている。
その平家物語の中心人物のひとりである建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)は、平家一門の棟梁であった平清盛の娘に生まれ、やがて高倉天皇の后となり、安徳帝を生み国母となる。しかし折から勃発した源平の戦いに巻き込まれ、最後の戦場となった壇ノ浦に幼い帝を抱いて入水し、徳子のみが心ならずも源氏方にたすけられ、我が子安徳帝は海のうたかたと消えてしまう。戦は終わり平家が滅亡した後、我が子安徳帝や平家一門の菩提を弔うため、大原寂光院に移り住んだ建礼門院徳子は、終生この地にて仏への祈りの毎日を過ごしたという。
ここ大原の里の歴史は古く、平安初期の僧・円仁が根本道場とし、魚山大原(たいげん)寺を建立したのが地名の始まりとされ、1949年(昭和24)に京都市に編入された。大原の里には寂光院や三千院だけでなく、天台宗の声明(しょうみょう)音律の根源地とされる来迎院(らいごういん)を始め、数多くの古寺名刹が点在している。また後鳥羽天皇や順徳天皇陵の御陵があり、昔を今にしのばせる。
建礼門院徳子の大原における影響は大きく、戦後しばらくまで、京都の町に柴を頭に載せて売り歩く女性の姿が見られたが、この女性たちは「大原女(おはらめ)」と呼ばれ、白川女(しらかわめ)や桂女(かつらめ)と共に、京都の町を彩る風物詩として、多くの京都市民に親しまれた。この大原女装束のルーツは、寂光院に隠遁された建礼門院の侍女であった阿波の内侍(あわのないじ)の山野へ出る作業着姿が今に伝わったといわれている。御所ぞめの帯に絹ふさの腰ひも、紺の木綿に白はばきを付け、柴を頭上にささげた風雅な姿は、昨今、この里でも見ることはなくなったが、地元の大原保勝会が風俗保存に力を入れ、「大原女まつり」で衣裳の貸出しを企画し、若い女性に人気を博している。
平家物語の有名な場面に、須磨の浦における平敦盛(たいらのあつもり)の最後がある。一ノ谷の戦いに敗れた平家一門の中で、逃げ送れた清盛の末子敦盛は、ただ一騎で一門の後を追うが、源氏方の熊谷直実(くまがいなおざね)によびとめられ、引き返して直実と戦い首を打たれる。直実は討ち取った我が子と変わらぬ年頃の幼い敦盛の顔を見て、戦いの無意味さを感じ武士を捨て仏門に入る。この逸話から謡曲敦盛や浄瑠璃「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」等、敦盛を題材にした様々な物語が生まれた。
その後直実は法然(1133〜1212)に帰依し、蓮生と号する。文治2(1186)年,天台僧顕真(1130〜92)が法然を大原勝林院に招き専修念仏に関する論議を行うが(大原問答)、法然が敗れた場合,直実はその法敵を討ち果たそうと袖に鉈(なた)を隠し持つが,法然に諭されて投げ捨てたと伝えられる。三千院の近くに、その逸話の伝承地として《熊谷直実腰掛石・鉈捨藪》の石標が昔を語っている。
夕暮れの山辺の道を一人たどるとき、人の世のはかなさを綴った平家物語の登場人物と、ふと出会いそうな、そんな気持ちにさせてくれる。洛北大原の里は、人の世のあわれや、いにしえの女人たちの哀愁を抱きながら、今も静かにたたずんでいる。
「しば漬の物語」
しば漬の歴史は、大原寂光院に隠棲され悲嘆の日々を送っておられた建礼門院徳子を、お慰めしようと里人が大原特産の紫蘇と茄子・胡瓜・茗荷など夏野菜を塩で漬け込んだ漬物を献上したところ、大層喜ばれてといわれている。それ以来、「しば漬」の名で800年以上にもわたり、大原の各家庭で秘伝の漬け方を守り伝えられてきた。
大原の里においては、紫蘇は古くから栽培されてきた伝統野菜。その紫蘇をベースに茄子、胡瓜、茗荷、青唐辛子など夏野菜を塩漬けにしたものがしば漬である。紫蘇の原産地はヒマラヤといわれ、9世紀に中国を経て日本に渡米したと推測される。大原の里は、山あいの盆地のため、夜の冷え込みが激しく、昼夜の寒暖差が深い霧をたなびかせますが、その気候風土が色、香り、味わいの良い紫蘇を作り出すとされている。
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