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京の山里を行く

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産経関西
三方を山に囲まれた京都には、その山ふところに包まれて多くの山里が点在している。
雅を誇った都の周辺にあって、時として貴人の幽閉の地となり、また政権を退いた為政者が都の喧騒を離れ暮らした地として、京都の歴史の輪郭を色濃く留めている。
「京の山里を行く」は、そんな歴史の原風景を訪ねると共に、里々に伝わる特産物をあわせて
紹介するシリーズである。

第2回 「水尾の里」

弘法大師が風葬や土葬された無縁仏を弔った化野(あだしの)念仏寺の前を過ぎると、道は二つに分かれる。右をたどれば夏の蛍と秋の紅葉で名高い名勝清滝に至り、左の道は水尾の里に至る。左の道をたどり狭くて急な山道を登っていくと峠にさしかかる。六丁峠である。ここからは少し道幅が広くなりやや下りになる。更に行くと九十九折の道が連続し、保津川の流れと出会う。なおも保津川に沿って行くと、川と別れて道はまた山中に入り秘境の感を呈してくる。この先に民家が在るのかとの不安を胸に更に進むと集落と出会う。水尾の里である。正式には右京区嵯峨水尾岡ノ窪町である。

ここ水尾はその歴史は古く、山城と丹波の両国を結ぶ要所に当たり、東の八瀬・大原に対して清浄幽すい鏡として、大宮人もよく訪れたといわれる。奈良時代の宝亀3年には光仁天皇が奈良から、また延暦4年には桓武天皇が長岡京より行幸されている。また後に水尾天皇とよばれ、源頼朝や義経等の名将を輩出した源氏の祖である清和天皇とは特にゆかりが深く、陽成天皇に譲位した後この地に住まわれ「ここを終焉の地と定める」と仰せられたと伝わる。そのご遺詔により弔われたのが現在の「清和天皇水尾山稜」で、水尾北垣内町の集落の西に小高い御陵を観ることができる。

水尾の女性たちは、三幅前垂れという榛(はん)の木で染めた前垂れを戦後しばらくまで使っていたという。清和天皇に仕えていた女官が当地に移り住んだとき、緋袴(ひばかま)の変わりに使用したものであるという。水尾女と呼ばれた愛宕神社の参詣客に樒(しきみ)を売る際の、水尾の女性の衣装として伝わっていたという。住民の姓は松尾、竹花、田中、辻、村上が多く、清和天皇に従って移り住んだ人々と伝わる。松尾姓の人々は、現在の松尾大社が在る松尾村から移り住んだ子々孫々といわれている。

道沿いから里を見渡すと、なだらかな斜面に背丈の低い木が整然と並んでいるのに気が付く。柚子の木である。当節は四国等が柚子の産地として有名であるが、ここ水尾で我が国最初の柚子栽培が始まったといわれる。京都市内に比べて温度の低い水尾で育った柚子は、温暖な地方で栽培された柚子よりも香りが深いといわれている。やはり澄み切ったここの空気と水が、香り高い柚子を育てているのかもしれない。青柚子の収穫は7月下旬から始まり、9月〜10月に最盛期を迎える。また10月〜4月にかけては柚子風呂と鳥鍋を供する家が数件ある。ユニークなのは、それらは料亭や飲食店ではなく、全て民家であることだ。

亀岡保津町と水尾の間に「明智越え」と呼ばれる古道があるという。1582年6月12日未明、中国地方に向かうために老いの坂を下っていた明智光秀の軍勢は、急遽矛先を転じて京都に宿営していた織田信長を襲った。世に言う本能寺の変である。これに先立つこと3日前、光秀が居城・亀山城〔亀岡〕を出て愛宕山に参詣したときにたどった道である。その道をたどりながら光秀の胸に去来したものは何だったのか。また光秀にまつわるもうひとつの説が水尾に伝わる。本能寺の変の前月の5月、光秀は愛宕五坊のひとつである西坊威徳院で催された連歌の会に参列している。この時に光秀が詠んだ歌が「ときはいま 雨が下しる 五月哉(さつきかな)」であるが、この時すでに光秀は信長に反逆する覚悟を固めていたのかも知れない。この歌は後年様々な解釈が成されてきたが、真意のほどは解き明かされていない。連歌の会に参列した光秀は、そのあと念仏を唱えて一夜を明かすために念仏堂に一人こもるが、その夜、時の天皇である正親町天皇が密かに水尾に行幸され、念仏堂を抜け出て山を下った光秀と密会されたというのである。その時に天皇が光成に対して、信長追討の宣旨を密かに下したとの説もあるが、もはや真実は歴史の霧の中である。

愛宕の麓に位置する水尾の里は、そんな歴史のひだを秘めながら、悠久のときを今も刻んでいる。


「水尾のゆず」

ゆずの原産地は揚子江上流で、朝鮮半島を経て日本に渡来したといわれ、かんきつ類の中では寒さに強いことから,この土地の気象条件に適したようで、現在も多く栽培されている。水尾の柚子の歴史は古く、千年以上前から栽培されていて、以前は御所に献上していた歴史を有している。山すその傾斜畑に栽培され、樹齢100年以上の古木が多いことから、その栽培の歴史を感じさせる。ゆずの成長は遅く,果実が収穫できるまでには20年以上を要し、現在では樹齢40〜50年以上のものが大半を占めている。収穫は7月下旬から始まり,最盛期は9月〜10月で、成り年と裏年とでは収穫量に大きな差がある。古くから薬用として、また調味料として、ゆずの持つ独特な香りと酸味は日本人に広く愛用されてきた。

この地に隠棲された清和天皇がゆずを食されたか否かは定かでないが、山すそに広がるゆず畑を眺めれば、そんな感慨の世界に引き込まれるようで、静かな山里の風景が心を癒してくれる。

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第1回  大原の里
第2回  水尾の里
第3回  八瀬の里
第4回  鞍馬と貴船の里
第5回  花脊の里
第6回  芹生の里up!
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