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京の山里を行く

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産経関西
三方を山に囲まれた京都には、その山ふところに包まれて多くの山里が点在している。
雅を誇った都の周辺にあって、時として貴人の幽閉の地となり、また政権を退いた為政者が都の喧騒を離れ暮らした地として、京都の歴史の輪郭を色濃く留めている。
「京の山里を行く」は、そんな歴史の原風景を訪ねると共に、里々に伝わる特産物をあわせて
紹介するシリーズである。

第4回 「鞍馬と貴船の里」

府道38号線、通称鞍馬街道を北に行くと、鴨川の源流のひとつである鞍馬川と貴船川が合する地点近くで道が分かれる。道なりに進めば鞍馬に達し、左に行けば貴船に至る。叡山電鉄鞍馬線で出町柳から乗車しても30分程度で貴船の入り口の駅である貴船口に達する。
洛北の名所貴船・鞍馬は、秋の紅葉で名を馳せているが、四季折々に見る自然の表情は、何時来ても心を和ませてくれる。

貴船川に沿った左の道を進んで行くと、やがて料理旅館が立ち並ぶ貴船に至る。夏には貴船川のせせらぎを聞きながら、川魚料理等が楽しめる川床が有名である。貴船の川床の歴史は鴨川の川床に比べると新しく、大正時代に入って暑さしのぎに茶屋が川に川机を置いたのが起こりである。現在のように料理を楽しむ形式はまだなく、川に足をつけて涼むだけのものであつた。それからしばらく後、昭和5年に叡山電鉄が鞍馬まで開通すると、貴船を訪れる人も増加し、鞍馬山詣での帰り客等を当て込んで、各店が競って川床を出し始めた。昨今は京都の中心部への送迎バスを出し、冬の時期には近辺の山々に出没する猪を用いた「牡丹鍋」等を供する料理旅館が増え、四季を通じて活況を呈している。

道をさらに進むと貴船神社付近でさらに道は細くなり、車一台の離合が困難なほどになる。この貴船神社の創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇〔はんぜいてんのう〕西暦336年の時代と伝えられ、古事記にも登場する水神である淤加美神(おかみのかみ)を祀り、古くから祈雨の神として信仰された。古来より晴れを願うときは白馬を、雨を願うときには黒馬が奉納されていたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、これが絵馬の発祥と言われている。また縁結びの神としての信仰もあり、平安時代の女流歌人、和泉式部も夫の心変わりに悩んで貴船神社に祈願をし、夫婦仲がもとのように円満戻ったとの逸話も残っている。そのためか、昨今は若いカップルや女性で賑わっている。その一方で縁切りの神、呪詛神としても信仰されていて、丑の刻参り(うしのこくまいり)でも有名である。この神社の「水占い」は、紙を水に浸すことで始めて文字が浮かんでくることから、若い人の遊び感覚にマッチして好評のようだ。この付近から鞍馬山に登ることも出来るが、多くの参詣者やハイカーは鞍馬から鞍馬山を登り貴船に達するのがスタンダードなコースである。

道を鞍馬街道に戻り、そのまま進むとほどなく鞍馬の里に至る。鞍馬は鞍馬寺の門前に出来た山里である。鞍馬寺の草創については「今昔物語」等の諸説に見られ、藤原南家の出身の藤原伊勢人という貴族が、毘沙門天と千手観音を安置して創建したとされている。しかし寺に伝わる「鞍馬蓋寺縁起」(あんばがいじえんぎ)では、我が国仏教に大きな影響を及ぼした中国の高僧鑑真(がんじん)の弟子で鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び毘沙門天を安置したのが始まりとされている。創建当時は天台宗に属していたが、1949年以後は、鞍馬弘教総本山となり今に至っている。本尊はもともとは毘沙門天であったが、所属宗派の変遷の中で、毘沙門天を中心として千手観世音と護法魔王尊の三身を一体として「尊天」としている。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとし、また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」、千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。そのほとんどの仏像が重要文化財や国宝に指定されている。

鞍馬にゆかりの人物といえば源義経の幼少期、牛若丸の時代に過ごしたことで有名である。1159年の平治の乱で、牛若丸の父義朝は平氏に敗北する。母常盤御前の懐に抱かれていた一才の牛若丸は、敵の平清盛に捕らえられる。美貌の常盤御前は、清盛の意のままになることで、牛若丸を含む三人の子供の命を救った。七歳の時に鞍馬寺の覚日阿闍梨の弟子となり、遮那王(しゃなおう)と呼ばれる。昼間は東光坊で学業に励み夜が更けると僧正ガ谷で天狗に兵法、剣術を習い、また夜に、寺を抜け出して五条大橋で弁慶と対峙するところは、昔からの御伽草子や伝説の定番としてあまりにも有名である。義経は後年、兄頼朝によって衣川の戦いで亡くなるが、義経の魂は鞍馬寺に戻ったとされ、それが神格化されて、遮那王尊として奥の院の義経堂に祀られている。

また鞍馬は10月22日の夜に行われる由岐神社の祭事「鞍馬の火祭り」でも有名である。祭りの起こりは平安時代の中期、平将門の乱や大地震等動乱と天変地異が相次いだ。時の天皇である朱雀天皇の命により、世の平安を願い内裏に祀られていた由岐明神(由岐神社)を北方の鞍馬に遷宮することで北の鎮とした。その際に松明、神道具等を携えた行列は十町(約1キロ)に及んだといわれる。この行列に感激した鞍馬の住民が由岐神社の霊験と儀式を後年に残そうと伝え、守ってきたとされる。毎年10月22日に行われ夕方6時頃に「神事にまいらっしゃれ」という合図で各家にかがり火が灯される。始めは子供が持つ小さな松明を、その後は青年などが持つ比較的大きな松明をもつて掛け声と共に集落内を練り歩く。午後8時頃鞍馬寺の山門の石段に百数十本の松明が集まり燃え盛る。やがて合図とともに注連縄(しめなわ)が切られると松明が石段下に集められ焼かれる。その後所大明神、由岐大明神の順序で神社から神輿が下る。急な坂道のため速度が出過ぎないように女性達が綱を牽く。この綱を牽くと安産になるとの言い伝えから若い女性が多く参加する。神輿が下る際、下帯姿の若者が担ぎ棒にぶら下がるがこれを「チョッベン」といい、鞍馬の青年の元服の儀式でもある。神輿は集落内を練り歩き神楽の奉納の後、神楽松明が境内をまわり、翌2時頃神輿が御旅所から神社に戻り祭事の全てが終了する。この他にも鞍馬は6月20日に行われる竹伐り会(たけきりえ)式が有名である。このあたりの人々は鞍馬寺の僧兵の子孫といわれ、水への感謝と五穀豊穣を祈って行われるもので、太刀を帯びた僧兵姿の人々が近江と丹波の両座に分かれ、大蛇に見立てた青竹を刈りその速さを競う勇壮な歳時である。

貴船は、鴨川の水源地の一つとして、古代より崇められてきた神聖な地である。かつては、「気生根」(きふね)と呼ばれた字の如く、大地の気が生まれ、湧きいずる場所とされた。鞍馬は、「闇部」(くらぶ)から転じたとも云われるほどで、都とは違った雰囲気に神々を感じていたのかもしれない。都の北に位置するこの二つの里は、いにしえの平安人の息遣いを感じさせる不思議な魅力の存る里である。


「鞍馬の木の芽煮」
鞍馬には「木の芽煮」と呼ばれる食べ物がある。もともとは京都の普段食である「おばんざい」の一種であるが、京都の人達は「木の芽煮」と書いて「木の芽だき」と発音する。
「木の芽」とは、山椒の若葉のことでここ鞍馬では昔から多く自生していた。この土地の人たちはその山椒の実や葉を山菜と一緒に塩漬けにして食べていたそうであるが、それが現在の山椒と昆布を醤油で煮た木の芽煮の原型のようだ。山椒のピリリとした味と昆布の旨みが絶妙なバランスをかもし出し、素朴な味わいの中にも平安人の風雅を感じさせる食べ物である。

「貴船菊」
秋に貴船の里を訪れると菊に似た可憐な花を見ることが出来る。貴船菊である。この花は別名秋明菊(しゅうめいぎく)とも秋牡丹とも呼ばれ、原産地は中国のようであるが、小さな濃いピンクや場所により白い花を咲かせる。貴船付近に多く原生しているためこのような名前が付けられたようだ。貴船菊は、静かな山里の風景に溶け込んだ、里娘の趣を感じさせる清楚で可憐な花である。




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第1回  大原の里
第2回  水尾の里
第3回  八瀬の里
第4回  鞍馬と貴船の里
第5回  花脊の里
第6回  芹生の里up!
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