ある方が「宗教は「溺れる者は藁をも掴む」の藁である。」と云われました。溺れる者の様に何かに縋りたいと手を差し出す手に触れる藁こそ宗教だというのです。もし、この方が云われる様に人間の宗教(仏教)に対する基本的なパフォーマンスが、溺れる者の様に藁に縋りたいと手を差し出すということであるなら、現実的にそのパフォーマンスに応え手のひらが握り締めるものは念珠であり、そして握り締めた手のひらに何かしらの温もりが感じられる、念珠はそんな存在であって欲しいと、私は思います。そして、そんな念珠を作り、皆様に販売することが出来れば、こんな幸せはないと思うのです。
江戸時代初期の京都の名所案内の書物、「京雀」 「京羽二重」には、『寺町通誓願寺に数珠屋がある』と記されています(江戸時代の初期、現在の六角通は、誓願寺通と呼ばれていました)。 《豊臣秀吉は天下統一の後、京都の大改造に着手しました。その中の一つが寺町通の造営です。鴨川を改修し、その河川敷を広大な市街地に替え、そこに市街地に散らばる寺院を集め寺院街を作ったのです。その中の一つが西陣から移って来た誓願寺です(「本能寺の変」で有名な本能寺もこの時、四条堀川から移って来ました)。》 当時、誓願寺は京都でも有数のお参りの多いお寺で、多くの参詣客で溢れていたのでしょう(現在、誓願寺は、浄土宗西山深草派の総本山として、京都一の繁華街 新京極の真ん中に位置します)。 その参詣客を相手に念珠を商い始めたのが、私共の店の起源であろうと思われます。 以来三百二十余年、同じ場所で、同じ商品を、十代にわたって作り、商って参りました。 明治以降も日本の仏教の首都であった京都だからこそ、この歴史と伝統を保ってこられたのだと思います。